自分らしく生きるために自分で決める

普段の生活

ワクワク感、希望

 自分で決めるということは、何も独善的に、独りよがりで、誰の意見も聞かず、一直線、ということは考えておらず、よくよく考えて、吟味し、家族とも相談し、それで自分も納得して決定する、というが本来の所だと感じている。

 主体性を持ってということかもしれないけれど、もう少し言うと自立した状態というか、清々しい状態なのかもしれない。後ろめたさがなく、若干の迷いがあるにせよ、その先にあるワクワク感や希望の方が上回っている状態かもしれない。

 期待感という言葉も浮かんできたけど、期待感はどうも不確定要素が少々強い感じがする。吟味した結果の決定なでの、それよりかも希望の方が合っている気がする。

経験しないと分からないこともある

 これまでの人生、自分で決めてきたことは多いと思うけど、本当の意味で自分で決めてきたかというと疑問が出てしまう。本当の意味というところでは、それを決めていく上で相応の忖度、例えば世間体とか、見栄とか(同じ?)、無難なところとかを考えてきたのでないかと思う。

 真剣に、自分が何をしたいのか考えての決定では無かった気がする。だけど、今それを悔やんでもしょうがないと思うし、仮に若い時に戻ってもそういうことに気付けないと思う。多分気付けない自信がある。若い頃は、誰かに相談しようという考えも起きなかったし、相談しても既に自分の考え方があったので、聞かなかったと思う。

 今回休職した直接の原因は、体調不良がもろに出て自分が今の環境(立場)で今後仕事をしていく自信がなくなったからだと考えている。それ以外にも、会社組織やその周りに対する不信感や無力感、そういう環境で使命感を持って仕事をしていると思われる同僚管理職や上層部への諦め感などがあり、何か定年までこの状態で仕事をすることはとても苦行だと感じてしまった。

 そういう意味では、今回休職したのは自分にとって良かったと思っている。そして、じっくり休むことで精神的にも余裕が生まれ、本当に自分がしたい事や、それについてしっかりと家族と話ができていることは、とても貴重な事だと思う。こういった経緯・経験を踏んでいかないと、私は気付けなかったと思う。

地道に

 そこで、自分で決める、である。何が自分にとって大事な事なのか、優先順位をしっかり決めていくことが肝要だと思う。将来の不安、例えばお金のこととか、健康のこととか、色々あるけども、これまでの固定観念は捨てて決めていくことが大事だと思う。誰かと比較する必要はない。また誰かを羨むことも必要ない。

 今の自分をしっかり見つめて、そこから自分がどのように生きていきたいか、そこをしっかり見極めていきたいと思う。ただし、突飛な考えをしない。ギャンブル的な行動はしない。現実的な計画を企て、地道に進めていきたいと肝に銘じている。

おしまい

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