人生というマラソン、ギアを一段落としてみる

心の内面について

何かに急き立てられてきた思いがする

 これまでの私の生き方においては、何かにずっと急き立てられている思いがあった。それは、学生の頃であれば勉強をし試験で良い点数を取らなければならないとか、社会人になったら仕事を覚えて出世して課題を解決できるような立派な人にならなければならないとか。

 そういった思いに急き立てられるのは、そうしなければ乗り遅れてしまう、取り残されてしまうという強迫観念的なものがあったのかもしれない。もしくは、世間の常識的なものに縛られ、そうすることが当たり前というか、選択肢はそれしかないんだよ、と思っていたのかもしれない。

 私はこれまで、努力して何かを成し遂げてきたという感覚が乏しかったように思う。実際はそうではないのだけれど、大学受験も失敗し、就職先も決して希望のところには就職できなかった。そんな思いがあったせいか、成し遂げたという感覚が薄いのかもしれない。

 だけれども、よくよく考えてみると、私の人生はそれなりに運良く回ってきたと思う。

 30歳手前で結婚し、一戸建ても購入し(まだまだローンが残っているけど)、奥さんともケンカはするけど仲良く暮らしている。休職中なので収入は減少しているけど、支出を切り詰めなんとか不自由なく生活できている。

 世間一般からすれば、住む家もあり、食べるものもそんなに困らずに食べることができ、着るものもある。充分だと思う。

ギアを一段下げるイメージでいく

 これまでの何かに急き立てられてきた思いを、辞めることにした。

 私の今一番の関心事は仕事場への復帰である。先月、上司に降格の上復帰したいと申し出た。会社へ復帰する上で管理職から降格を申し出たということである。正直不安であるし、周りの目も気になるが、特に何か悪いことをした訳でもないので、気にすることもないのだが。

 気にするといえば、自分が能力の無さを周りから同情の目で見られるのではないかということ。そういう目で見る人はいるかもしれない。それはそれで、しょうがないと諦めるしかない。

 これまで急き立てられてきた思いを辞め、歩を進めるスピードを一段落として見ることにしようと思う。ギアを一段下げるイメージで。

 これまでは、自分にとって少しペースが速かった感がある。若い時はスピードの速い人と一緒になって、自分もスキルアップしたこともあるが、これからは自分のペースを守ろうと思う。

 若い時、20代の頃に、知人に誘われてサーキットでの講習にいったことがある。目的は、普段の運転技術の向上である。内容は、雨の日を想定しスリップに対応できるハンドル捌きや、滑りやすい路面でのハンドル捌きなどである。

 特に勉強になったのはスリップ対応である。自家用車を持ち込んでの講習であるのだが、自分の車はAT車である。AT車では通常エンストはあまり起きないものだが、このスリップ対応ではうまくハンドル捌きができず車が回転してしまい、しまいにはエンストしてしまった。

 このスリップ対応、時速50〜60km/hで走るのだが、これが30〜40kn/hまで落とすとなんとか車を制御することができる。少し速度を落とすだけで周りの風景もしっかり確認でき、ハンドル捌きも上手くできるようになった。

 これは仕事とか人生にも通じるのではないかと考えるようになった。これまで少し早歩きできたけれども、ギアを一段下げて自分にかかる負荷を下げ、スピードを落としていけば何とかやっていけるのではないかと思うようになってきた。

 自分には自分の特性がある。他人とは違う。これは当たり前なことなんだけど、どうしても他人と比較してしまう。だがこれからは他人とは比較せずに、自分の特性や体力を十分に考え、自分ができる範囲でベストを尽くそうと思うようになってきた。

 人生はマラソンと同じで、初めからペースを上げてしまうと途中でバテてしまう。それに気付いて、自分のペースまでギアを落とし、なんとかゴールまで辿り着く。他人の目を気にしてカッコよくしなくても良い。他人だって自分のことで精一杯で、私のことなんてそんなに見ていないと思う。

 遠くをみると嫌になってしまうので、足元、せいぜい10mぐらい前を見ながら、ゆっくり走っていきたいと思う。

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