他人との比較
私は、どうも他人を羨ましいと思う心が強い方だと思う。
会社でも、同期が出世したり、家を買った、車を買ったという話を聞くと羨ましいと思ったり、僻んだりしていた。そして焦ってもいた。
自分がどのような状況でいるのか全く考慮せずに、ただ単に他人のやること、なすことに対して羨んでいたように思う。
なぜこうも羨むという感情が強かったのかをずっと考えずに生きてきたが、ここにきてちゃんと考えていかないと自分が辛くなるなと思い始めてきた。
他人を羨むということは、自分の今の立場、例えば会社内での位であったり自分の収入など、こういったことを一切考慮しないで相手を見つめている状況だと思う。
なので、自分自身の状況などをしっかり見つめ、本当にそれが自分にとって羨ましいことなのかを問い直す事にしてみた。
まずは、会社内での出世についてである。同期が自分より良いポジションに異動したことがある。この時も少し羨む心があった。なぜあいつなんだと。
だが冷静に考えてみると、自分がそこまで仕事を頑張ってこなかったからである。
自分自身がそこまで仕事に夢中になれないことを自分自身が一番よく分かっているはずなのに、同期を羨むとは虫が良すぎるものである。
原因があって結果がある。そのことは良く分かっているのだが、心がついていかない。
このあたりから、管理職というポジションでやっていくのは、自分の中で限界が来ているのかなと思うようになってきた。管理職から退いた方が気持的に楽になるなと思い始めてきた。
今の会社での仕事にやる気が起きなのに、管理職としてあたかも組織を引っ張っているんだという面構えでやるのは、自分にとって苦行である。
そういう自分の中の気持ちをしっかり見つめていくと、何も管理職にしがみつく必要などなく、同期が出世したところで、自分にはそこまでできないし、羨ましいと思う気持ちも薄らいでくる。
家を買うのも、車を買うのも、本来であれば自分や家族がどうしても必要なのかどうか見極めていく事が大切だと思う。
自宅は持ち家であり、周りの環境も良く気に入ってはいる。住宅ローンはまだ20年ほど残っており、ローン返済に苦労しているが、これは致し方ないと思う。何とか返済できるよう節約していきたい。
車はほとんど乗らなかったので、2年ほど前に売却した。車を手放すと喪失感があるかなと思い少し抵抗感もあったのだが、いざ売却してみると案外平気だった。
ほとんど乗らない車に対して、車検や毎年の自動車税を支払っていること自体がストレスであったので、それが無くなったことの方がメリットとして大きかったように思う。
自分自身をしっかりと見つめる
他人と比較して他人を羨むということは、自分のことをちゃんと信じてあげていない証拠なのかなと思う。
他人を羨むのであれば、自分もそのように稼ぎ、頑張れば良いだけのことである。だけどそれをしないということは、実のところ自分にとっては本当に欲しいものではないのだと思う。
本当に欲しいと思うのであれば、それを得るために自分なりに努力していくはずである。
それをしてない時点で、それは本当に欲しいものではないのだと思う。
あわよくば、手に入ればラッキー的なものぐらいと考えた方が良いのかもしれない。
やはり、自分自身のことをしっかり見つめ、本当にそれが必要なのかどうか判断する事が大事だと思う。
何も努力をせずに手に入るものなど無いと思う。
羨むの気持ちが出ててきた時は、改めて自分自身を問い直す良い機会だと思う。
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