経験すること
50歳を過ぎてくるとそれなりに経験値も上がってくる。
なんとなく学校を出て就職し、結婚し、マイホームを購入、会社での昇進、そして休職する。色んなことを経験して失敗し、そこから学ぶことも多いと感じる。
世の中には実に様々な情報や知識が溢れているが、人生を重ねてきて実際に経験してみるとその事象の裏に隠れている色んな事情や背景が見えてきて、世に流れている情報というのは少々的を得ていない感じを受ける。
仕事であれば、その業界に身を置かないと本当のところの仕組みは理解できないのではないかと思ってしまう。
その業界のしきたりであったり、業界の風土、またその会社の慣習など、そこに属していないと空気感が掴めないと思う。
私が思うに、人は経験していないことについて書く時は、どうしてもこれまで経験してきた延長線上より以上のことは書けず、自分が思ったことしか書けないのだと思う。
新聞の記事などは、その事案を正確に表すために、それ相当の取材して十分に検証しないと、的を得た良い記事は書けないのだと思う。
実際、その業界を経験している自分が、その業界に関係する新聞記事を読んだりすると、どうも記者が捉え違いしていて本質的な部分を表現できていないと感じる時がある。
そして、それらの記事を読む読者は、新聞が書いているのだからそれは正しいと思ってしまうのだと思う。私も若い頃はそのように思っていた。
だが、年齢を重ねてそれなりに経験を重ねてくると、新聞やメディアが書いていることには人的不足もあって表現するには限界があり、そこには憶測も含まれていると思うので、それほど信用しない方が良いと感じるようになってきた。
過程をよく見る
SNSなどで色んな批判をしてくる人がいるけど、私のこれまでの拙い経験をもとにすると、安易に物事を批判することは避けた方が良いと思う。
よくよく調べて考えて、その業界の慣習や背景などを見てからでないと、そう批判できるものではない。
新聞やメディアの言っていることを鵜呑みにするのは少々危険だと思う。
それなりの組織であれば、色んなことを考え分析し、試行錯誤しながら世に出している。その過程には様々な人の手が入り複雑に絡み合っているものだと思う。
SNSでは、その表面だけしか見えてこない。過程を説明している部分もあるにはあるが、それすら読もうとしない。表に出ている事だけで批判してしまう。
表に出てくるものはほんの一部であって、そこに至るまでには様々な過程が存在する。
意思決定一つにとっても単純ではなく、その業界の風土やしきたり、利害関係人との調整、市場の動き、会社内のパワーバランスなど、様々な事柄を経てきている。
こういったものは、現場にいないと空気感などが掴めないと思う。
ここにも、自分の経験した以上のことには理解できないものがあるのだと思う。
思考の柔軟性
人はどうしても自分の価値観に頼って判断してしまう。それ以外は想像がつかないのだと思う。
だけど、これまでの経験をもとに考えていければ、そこには多少なりとも想像力が発揮できるのではないか。
自分が所属している業界ではこうだけれども、この業界はどうなんだろうと、これまでの経験から応用して考えることもできる。
頭を柔らかくして心を素直に思考を巡らせれば、そう批判することも無くなるかもしれない。
もっというと、応援する気持ちがあれば安易な批判は無くなるのではないかと思う。
もし応援する気持ちがないのであれば、そこからから離れること。遠ざけること。自分には関係ない所では批判しない。時間が勿体無い。そんなことをふと思った。
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