興味を持つには

普段の生活

最近は興味を持てなくなった

 最近、物事に対して興味を持つことが少なくなってきたと感じている。体力が落ちてきたせいなのか、または気力が落ちてきたせいなのか、どうも興味を示す事が少なくなってきたように思う。

 興味を持つということはどういうことか。そういうことすら何か忘れてしまったように思う。

 なので、今一度、興味を持つということについて考えていきたいと思う。

 まずはその物事について関心を寄せることなのだと思う。関心があれば行動を促す動機にもつながる。

 そして、関心を寄せる時に、あまり損得を考えないことも大事だと思う。

 ここでの損得は、例えばこのことをやれば仕事に結びつくかどうかとか、自分の経済的な利益につながるか、といったところである。

 そのような損得を抜きにして、純粋に自分が面白いと思うこと、知りたい、感じてみたい、という欲求に素直になれる事が大事なのではと思う。

 

小学生の頃のプラモデル制作

 興味があれば好奇心が生まれ、その物事を知ろうと集中していくので努力が努力で無くなる。

 今思い付くのは、小学生の頃にプラモデルを作っていた時がこういった状態だった。ガンダムのプラモデルやバイクのプラモデルなどを作っていた。

 小学生だったので、プラモデル以外での塗料やその他の器具などはあまり買い揃える事ができなかった。

 あまり手先が器用でもなかったが、それでも、その時にある道具で集中し、制作に没頭する時間はとても気持ち良かった記憶がある。

年齢を重ねるごとに制約的なものを感じる

 年齢を重ねるごとに何か制約的なものを感じ、こういった集中できるもの、没頭できるものから遠ざかってきたなと感じていた。

 中学になれば部活があり、その後高校受験がある。高校に入ればまた部活があり、その後受験か就職という選択肢が出てくる。

 そんな感じで、何かに追われるような感覚があり、何かに興味を持つような事が少なくなってきた。

 どうしてこういう感覚になってきたのか。やはり自分主体で、自分が本当にこれをしたいという気持ちを強く持てなかったかもしれない。

 また、当時の自分の中には、世の中の常識としてこういう風な道に進むべきである、それには何かを犠牲にして努力していくべきである、といった考えもあったように思う。

心に余裕を持つことが興味を持つきっかけになる

 休職に入って時間に余裕が生まれてくると、ゆっくりと考える時間ができた。

 心に余裕がないと色んなことに興味を持つことはできないなと思う。小学生の頃は、大きなプレッシャーが無く時間に余裕があったので、好きな事ができていた。

 大人になれば、やはり生きていかなければいけないので、最低限のお仕事はしなければいけない。だけど、その仕事もそこまで心を支配される必要はないんだと、思えるようになってきた。

ますは触れてみる

 興味を持つためには、まずはそれに触れてみる事だと思う。体験してみる。その時に、その対象が自分にとって役に立つとか、そういう打算的な考えは持たない方が良い。そうではなく、素直に見てみる。

 その対象に触れてみて、やはり面白くなければ諦める。それにしがみつく必要などない。うまく損切りしていく。そして次の対象を見つけていく。

 こだわる所はこだわっても良いけど、つまらなければサッと諦める。そんな程度で良いと思う。

 興味を持つことは、体力も必要になってくる。集中すること、没頭することには、やはり体力は必要だ。

 健康に気をつけ、体力をつけていくことが、興味を持つ最大の要因かなと思う。

普段の生活
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