知識があることでの弊害

普段の生活

 世の中には情報で溢れている。インターネットは実に様々な情報にアクセスすることができる。これはこれで素晴らしいことだと思う。調べればすぐに出てくる。詳細に説明までしてくれているページまである。

 中には、知らなくてもよい事も知ってしまうことになる。誰それのスキャンダルであったりとか、この制度はこういう不備があるとかなどである。流行りのものがあればこぞってSNSにアップしたりもしている。

 多くの情報に触れていれば、それだけ知識量も増えてくる。だが気付いてみればその知識に振り回されるてしまっているということもある。核心をついていない情報を得れば、それから身につけた知識は本当に自分に役に立つのか怪しいところである。

 物事を始めたばかりの状態では基礎的な知識を習得する必要がある。物事の成り立ちからその仕組み、どういった作用をしているかなどである。知識が増えてくると物事の全体像が見えてくるので楽しくなってくる。だが知識だけが多くなり始めるてくると頭でっかちになり、自分自身を縛り付ける要因にもなり得る。

 ある一定程度、物事を習得してきたら、あえて知識を詰め込むことは避けた方が良いなと思うようになってきた。知識があることで、逆に行動が狭まることもあるかもしれない。行動を阻害することにもつながる。

  知識ばかり追ってしまう傾向は、勉強を始めた時は往々にしてある。自分が何か賢くなった気分になり気持ちよくなる。誰かに自慢したくなる。言い負かすことができるかもしれない。何か邪な気持ちが先行しているとき、知識ばっかりの人になってしまうのかもしれない。

 ある程度知識がついてきたら、そこからは自分で考えてみることだと思う。身につけた知識は一旦おいておいて、その物事について疑問に思ったことなどを自分なりに考えてみる。うまく解決に結び付けられなければもう一度知識を確認してみる。

 世の中に溢れている知識は、一度身につけたらそのあとは自分なりに考察を深めていくことが良いと思う。時間があればその物事に関する本を2、3冊読んでみる。それぞれ同じようなことが書いてあれば、その知識は一般的であると分かってくる。

 知識を賢く得ていきたいと感じる。その知識は状況が変われば、その知識自も変わってくるかもしれない。

 知識はバランスよく習得していきたい。

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