自分にとって過分な欲とは

欲があることで勉強を頑張ったり、仕事に対して向上心を持つことができる。
生きていくための原動力にもなる。
だがその欲が必要以上に度を過ぎてくると自分自身を苦しめることになる。
この「欲」というものについて、50歳を過ぎてから改めて考えるようになった。
これまでの人生において、度を過ぎた欲が無かったのか。
それは生きていく上で本当に必要な欲であったのか。
仕事面では、これまで管理職として働いていたのだが、その立場を何とか維持したいということも、自分にとっては度を過ぎた欲であるのだと思うようになってきた。
そもそもだが、どうして管理職になりたかったのかというのが、自分には明確に無かった。
ただ単に名誉を得たいがために、自分には能力があるんだと周りに示したかったのもある。
たいした能力もないのに、人を取りまとめる力もそれほど無いのに、無理してやるのもそれは度を過ぎた欲心から出るのかもしれない。
出世欲とか、偉く見られたい、優秀だと認めてもらいなど、そういう欲心を捨て去っていくと、自分がしたい事が見えてくるような気がして、心持ちがとても軽くなったように思う。
誰かと比較してみて自分は出来ている・出来ていないということで悩んでみたり、上司から良く思われたいという呪縛から解放されたのが大きいと思う。
生活面では、近隣などから見栄を張ることが当てはまると思う。わかりやすい所では家や車の購入などである。
同僚が家を買った、車を買った、という話を聞くとなぜか焦ったりしていた。そこにも他人と比較するということが潜んでいる。
私も無理をして35年ローンを組んで家を購入した。今でもローン返済を頑張ってやっているが、これも何処かでは過ぎた欲だったのかもしれない。何とか返済できているが、自分にとっては大きな負担である。
人それぞれ家族の状況も違えば収入も違うので、それに一喜一憂する必要も全くないのは分かっているのに、競争してしまう。これも過分な欲だと思う。
他人との比較

過分な欲を持つ原因として、必要以上に他人と比較することにあると思う。
自分の力量や積み重ねてきたもの、環境などを顧みずに、他人のことを羨んだり、妬んだり、その結果焦ったりしていた。
こういうことをやっていると自分軸がなくなり、何をすれば良いのかわかならなくなる。
様々な情報に振り回され過ぎていて、本当に自分が何をしていきたいのか分からなくなっていた。
50歳を過ぎて、他人と必要以上に比較する意味はないのだと分かってきた。他人には、自分の人生の面倒は見てくれない。
今からでも遅くないので少しづつ自分の認識を修正し、無理をせず自分軸を築いていきたい。
なんとか生きていける

これからはどうやって生きていけば良いのか。
それは、「いい加減」さが丁度良いのだと思う。
これまでの自分は他人との比較をする時点で、他人から自分のしていることに何かしら指摘を受けたときに上手く切り返すことが出来ないでいた。
だが、そもそもそういった指摘に対して上手く切り返すことが必要なのだろうか。
「いい加減」に返答しても良いのではないだろうか。
人にはそれぞれ違う生き方がある。千差万別である。それをいちいち言われる筋合いはないのである。
人様に嘘をつくことなく、真面目に真っ当に生きてさえいれば、なんとか生きていけるのだと思う。
自分に必要な「欲」だけ持って生きていきたいと思う。
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