Netflixで葬送のフリーレンを一気に見た。色々考えさせられる場面も多かったので、繰り返し見ている。主人公フリーレンの心の動きであったり考え方など、自分に当てはめて考えてみると心の洞察として面白いかなと思ったので、ちょっと書いてみる。
「葬送のフリーレン コミックはこちら」1,000年生きるとして、果たしてどうするか?
フリーレンはエルフとして1,000年は軽く生きる長命種という設定である。人の寿命より軽く100倍長く生きる計算である。1,000年以上生きるため、物事の捉え方がとてもゆっくりしている。5年、10年はあっという間の期間である。
私は今51歳であるが、仮に今の自分がまだ1,000年近く寿命がありますよ、と言われたらどうだろうか。いい加減そこまでは生きたくないよと思うのか。はたまたそんだけ時間があるのだから、人生10回くらいやり直しがきくな〜と思ったりする。
良い方向に考えるとして、人生10回はやり直しがきくと考えると、腰を据えて色んなことに挑戦してみても良いなと思ったりする。時間はたっぷりあるので、目先の利益にこだわらずにじっくりと捉えてみる。
今はサラリーマンだが、次は料理人になっても良いかもしれない。ITとかは苦手だけれども、プログラムを覚えてSEとして活躍していっても良いかもしれない。
しかしながら改めて考えてみる。実際のところは、人の寿命はせいぜい80〜90年ぐらいである。それも健康寿命となってくるともう少し短いかもしれない。
人生は長いようで、おそらくあっという間に過ぎていくのかもしれない。現に自分も既に51歳である。20歳の頃は51歳になっている自分をうまくイメージできないでいたが、考えてみるとあっという間だったかもしれない。
人生も後半戦に突入し、会社での定年退職も現実的な距離に入ってきている。少し守りの姿勢になってきている感はあるが、一方でまだまだ少しはやれるなという気持ちも出てきている。
会社人生も最長で65歳までは働くことができるけれども、自分の体勢が整ったら違う分野に再就職してみたいという気持ちが出てきている。
ずっと同じ会社で骨を埋めるのも悪くは無いけど、一度限りの人生、できる範囲の中で挑戦してみても良いのではないか。そんな思いが出始めている。
力・能力を抑制すること
フリーレンが魔法の師匠から魔力を制御する修行をしなさい、というものがあった。普通に考えると魔力が強よければ相手も警戒するし、不要に襲ってこないと思う。だかここでは、あえて魔力を抑える方向にいっている。
魔力を使う理由は魔族を倒すためであるが、そのために敢えて魔力を表に出さないようにしている。魔力を抑えることで相手を油断させ、その隙を狙って攻撃をするというものである。
一般的にいって、人は力なり能力を保持すると、それを使いたがるものだと思う。実際自分がそうである。例えば知識を得たり、筋力がアップしたりすると、それを誇示したがるなと思う。又はそれについてすごいと褒めてもらいたい、羨ましがられたい、という気持ちが出たりする。
そういった力・能力をあえて抑えて生きていくというのは、とても忍耐が必要なことだと思う。誇示したがる欲求を抑えるのは至難の業でさえ思う。
ここで考えるのは、知識を得たり筋力アップをする理由である。ただ単に他人より優位に立ちたいという理由だけでは、力・能力を得ても際限無いものになる。基準があくまで他人との比較になってしまうので、自分軸がなく、明確な目標すら立てることができない。
力・能力を得る最大の理由は、自分自身の気持ちが豊かになることなのだと思う。何も敵を倒すだけが目的ではない。それも時として必要かもしれないげ、最大の理由は自分自身の心が豊かになって、明るく穏やかに生きていけることだと思う。
色々見方はあるかもしれないが、今の時代、そんなに強がらなくても良いのではないか。ヘナヘナしていると舐められてしまうかもしれないが、それでも気にしない。殴られそうになったら一目散に逃げること。
こういった考えは人それぞれなので、色んな生き方があるのは承知している。私はこれまで、常に強がり、すぐに相手の挑発に反応し、失敗してきた。
そんな失敗から、相手と衝突するような考えや行動は慎み、できる限り調和を軸に平常心で対応していきたいと思っている。
私自身、何も最初から相手と喧嘩したいとは思っていない。できれば仲良く穏便に過ごしていきたい。そうであれば、まずは自分から態度を改めることが大事になってくると思う。
人との付き合い方
フリーレンは、10年足らずの旅の中でヒンメルのことを知ろうとしなかったことにとても悔やみ、人を知る旅に出掛ける。長命種であるがために、フリーレンにとっては10年という期間は取るに足らない時間であり、あえて人を知ろうとは考えなかった。
長命種であるがために、時間がたっぷりあり、今すぐ何かをやらないければならないという動機付けに著しく乏しいと思う。
一方、人間は100分の1以下の寿命しかないため、考え方や行動様式にズレが生じてくる。この「ズレ」をフリーレンが認識し、人を知る旅に出ることになる。
こういったことは、人間にも当てはまると思う。「葬送のフリーレン」のもう一つのテーマは、寿命の長さだと思う。
人間もせいぜい80〜90年程度の寿命でしかないけど、若いうちはそれがとても長く感じるのだと思う。それが50歳を過ぎて人生の後半戦に突入してくると、いよいよ人生の終わりというのがチラつき初始めてくる。
これまでの私自身の人に対する接し方は、自分と比較してから判断するということが多かったと思う。素直に相手の良さを認めることに抵抗があったと思う。
どうしても力・能力の比較の対象として人と接してきたのだと思う。それがために、相手の良いところを素直にみる目が足りていなかった。
人生、後半戦に突入し、会社人生も終盤を迎えてきている。そんなに時間はないかもしれないけど、気づいた時が吉日という気持ちで、人との接し方も捉え直すよう心がけていきたいと思う。
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