自律するということ

仕事

自ら決める、自ら判断する

自律するというはどういう状態なのか考えてみた。自ら決めた道をしっかり歩むこと。決定を誰かに依存しない。進みたい道があれば徹底的に調べて研究分析する。そして自ら決める。

 しっかりと穏やかに自分の人生を歩んでいくには、自律するということがとても大事になってくると思う。

 自律するということについて自分なりに考えてみると、自ら決めた道をしっかり歩む事、判断を誰かに依存しない事、こういうことが自律をするということなのかもしれない。

 自ら決めた道をしっかり歩む事については、外野からの色んな言葉にいちいち左右されないことが大切になってくる。ここでは、自分の性質(性格)や許容範囲などをしっかり吟味する必要がある。他人と比較する代物ではない。あくまで自分の性質や許容範囲をしっかりと見定めることが肝要だと思う。

 そして判断する時も、その判断を誰か他人に委ねることはしないこと。自分の人生の舵取りを誰かに渡すことはしてはいけない。周りの常識や慣習などは考慮しないこと。著しく道徳に反することや人の道に外れる行為はしてはいけないけど、そうでなければ自分の心の赴くままにしていけば良い。

非難や嫌われることを恐れない

 こういった自分で決める、判断するという行為の中には、誰かから非難されるのではないかとか、嫌われるのではないかという不安がついて回ってくる。そういう考えが頭をよぎった時は、こう考えるようにしたい。

 非難されたとして、非難した人には自分とどういった関係があるのかよくよく考えてみる。その人に大きな損害を与えてしまったのでは、それは保障しなくてはならないが、そうで無ければ非難した人は自分の人生を左右することはない。

 嫌われるのではという不安に対しても、その人から嫌われたとして自分が何か大きな損害を被るのか。恐らく損害を被ることはない。ただ、嫌われたという事実が残るかもしれないが、それは嫌った人が感じたことであって自分には関係のないこと。

 非難も嫌われることも、どちらも相手側が感じたことであって、その感じたことを自分が背負う必要はない。もし面と向かって言われたら、心を遠くに置いてBGMとして聞き流すことに限る。

自律した精神を保つには

 自律するという精神状態を保つには、変に仲間を作ろうとか自分のことを分かってもらおうということをしないことが大事だと思う。

 自分の決めた道を、誰それに言い訳じみたことを言う必要はない。誰かに分かって欲しいということも必要ない。家族とかごく一部の友人に分かってもらえればそれで良い。

 そもそも、自分の考え方と全く同じ考えをもった人などはいないということにしっかりと気づくことが大事だと思う。

 生き方はみんな違う。違って当然。良いお手本は見習っていきたいけど、全部真似をしない。自分なりにカスタマイズしていく。そして自分のものにしている。

 自分の性質と許容範囲をしっかり認識して、楽しく穏やかにこれからも過ごしていこうと思う。

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