結局は独り相撲

50代のメンタルケア

妄想して思い込む

悩んでいる時というは、大抵自分の頭の中で妄想が膨らんでいるものである。

勝手にあ〜でもない、こ〜でもないと妄想して思い込み、それが頭の中で走馬灯のように繰り返している感じである。

だがそれを他人に相談したところで、自分の中の妄想が膨らんでいるものだから上手く理解してもらえずに、あまり良い解決には結び付かないことの方が多い。

そしてこういう妄想というのは結局のところ独り相撲のようである。

狭い土俵の中で色々と妄想を繰り広げているのだが、闘っている相手はなんて事のない、自分だったりする。

 

知識・経験が時として邪魔になる

これまで52年間生きてきて、それほど多くの経験をしてきた訳ではないけども、それでもまあまあ経験はを重ねてきた。

就職や結婚や家の購入、親の死去などなどである。

それなりに生きてきて、それなりに知識や経験を得てきた。その知識・経験が時として邪魔になる時もある。

例えば会社内の慣習である。慣習ではあるので、ある程度守らないと、周りから少し白い目で見られることもある。

だかこういう慣習も、周りが思っている程に守らなくても良いのではと思うようになってきた。

仕事をしっかりとこなしていれば、周りが自分のことをどのように考えているかなどは、どうても良いと思う。

自分には他人がどう考えているかなどは預かり知らぬところである。

あ〜しなければならない、こ〜しなければならないというのは、確固とした決まりがあれば仕方ない。

慣習程度であれば、大きく他人に迷惑をかけなかれば自分の思うようにしていけば良いのだと思う。

人生も人それぞれである。同じように見えても、細かいところは皆違うのである。

自分やその家族にあった生き方をすれば良いだけ。他人の生き方を見て、勝手に自分と比較して、いろいろ妄想しない方が賢明である。

 

何でも知識を身につければ人は賢くなるというのは、あまり賛同しない。知識も、良質な知識と悪質な知識とがあるように思う。

私が考える良識な知識とは、昔から引き継がれている考え方や事の本質を表しているようなもの。諺なんかは、事の本質をついているのだと思う。

一方、悪質な知識とは、表面だけをなぞっているようなもの。

いわゆるハウツー的なものである。その場を凌ぐためだけの知識である。そういう知識は自分自身の糧にならない。

それを絶対だと信じて思い込み、自分の選択肢が狭くなり、思い悩むようになってくるようでは、非常に勿体無いと思う。

見せかけに惑わされない

今の世の中は、流れが非常に早いと言われている。確かに、テクノロジーは急速に進化してきている。

人々の生活スタイルも30年前とは確実に変わってきていると感じる。

テクノロジーが今よりもっと進んでくれば、人々の物の考え方や時間の捉え方などが今とは全く違ったものになると思う。

そうは言っても、人が抱く妄想というものは依然として無くならないのではないか。

どんなにテクノロジーが進んで生活様式が変わっても、結局のところ人はあ〜でもない、こ〜でもないと妄想し思い悩むものだと思う。

妄想して思い悩み、苦しみを深めていく生き物だと思う。

処方箋は、流されるまま浮いて流されるのではなく、世の中の流れに浮かないよう流れの中に入って、流れを認識する感覚を持つことだと思う。

要は、世の中で喧伝されているおいしそうな話にすぐに飛び付かないことである。

独り相撲をしている状況というのは、要は欲をかいている状態だと思う。

思い悩む時というのは、他人との比較をして妄想している時である。

自分自身や家族のことをしっかり見ることが肝要だと思う。

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