父親に対する想い

心の内面について

 今日は私の父親のことについて触れたいと思う。私の父親は、今から16年前に亡くなった。当時62歳。糖尿病が悪化し、最終的には心不全だった。実家は商売をやっていたが、父親は大学生の頃からその仕事をやっており、暖簾分けみたいな感じで独立した。

 私も学生の頃はよく手伝いをしていた。実家の商売は母親も手伝っており、また従業員も常に15人前後いて活気があった。父親の若い頃は、従業員を叱咤激励している姿が格好良いと思っていた。

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怖い親父

 父親はあまり子どもたちの面倒をみるようなタイプではなかった。今時の「イクメン」とは真逆で、気軽に話しかけられるような感じではなかった。

 腕力もあり、従業員へ接している態度を間近に見て、少し恐怖感もあった。私が小学校3年生の頃、学校に行くのが嫌で駄々をこねていたら、いきなり投げ飛ばされて「大人しく学校へ行け!」と怒鳴られて、もの凄く驚いた記憶がある。

 恐怖心よりとにかく驚いた記憶がある。その日は結局、遅刻して学校へ行ったが、母親も一緒に付き添ってもらい、母親から担任の先生に事情を話してもらっていたようだった。

 父親から手を挙げられたのは小学3年生の頃の1回きりであるが、その割には父親に対して特に反抗心とか恨みが出た訳でなく、ただ怖いな、話にくいな、という感じだった。

 中学、高校の頃は特に父親と話す機会はなかったが、高校を出て実家で働き始めたあたりから父親と話す機会がちょこちょこと出てきた。話す場は決まって近所の居酒屋とか焼肉屋だった。

 家に帰り、父親がいないと、母親が「◯◯にいるよ」と教えてもらう。そのお店に入ると父親がカウンターで飲んでいて、自分もその隣に座ってビールを飲む。父親からの一方的な話ではあったのだが、特にそれが嫌ではなく心地よかった。

 当時の私は父親に対して、色んな知識を持っていて凄いな、という尊敬するような感情を持っていた。周りの家族のことは良くわからなかったが、家庭的な父親では全くなく、良く飲み歩いていて家に2、3日帰ってこないこともザラにあった。母親はいつも愚痴っていたけども。

父親の孤独

 父親の飲み癖は悪かったみたいで、街中の飲み屋では出入り禁止になっている所もいくつかあるようだった。商売もそれなりには売り上げはあったようだが、それでも経営が厳しかったみたいで、それが原因か分からないが父親が40代を過ぎる頃には飲み歩く頻度が高くなり、それで糖尿病を発症したみたいだった。

 50代に入ってすぐに、糖尿病が原因で半年ほど入院することになった。その後、一度は回復の兆しが見えたが、60代手前でまた入院。この時の入院では医者から覚悟してくれ、と言われるほど悪かったが、なんとか持ちこたえて退院できた。

 だがこの頃の父親は、良くなっていこうという気持ちが薄れてきたように思えた。あまり母親とも話をしているような気配もなかったので、父親は何か孤独みたいなものを感じていたのかなと思う。

 父親が亡くなった数年後、母親と父親のことについて少し話す機会があった。父親は若い頃、常に今の商売を辞めてゆっくり過ごしたい、と言っていたそうだ。その為に、色んな資格を取ったり勉強していたという話を聞いた。

 その話を思い出して、自分の今回の休職の事に重なる思いがしてきた。父親は商売はしていたが、それがどうしても自分がしたい仕事ではなく、もっと他に道はあるんではないかと思っていたのではないか。

 だが方向転換する術が見出せず、日々の忙しさに流されて、じっくり考えることが出来ないでいたのではないか。おそらく母親は、今の生活の基盤を捨ててまで父親が考えている別の選択肢を一緒に考えるつもりはなかったのではないか。それが、晩年になって父親の精神面に大きな影響を与えたと思う。

 父親の晩年の事を思うと、誰が良い、悪いということはないのだけど、やっぱり夫婦間でしっかり話し合うことはとても大切な事だとつくづく思う。

 心にわだかまりを抱えたまま仕事をしていれば、いつかそれが爆発してしまう。今まで特に疑問を持たずにやってきたことも、ある日突然気づいてしまうこともあり、気づいてしまったら最後、後には引けなくなってしまう。

 人生を重ねていけば、色んな気づきが出てくる。そんな時に、その気づいた事を夫婦で話すことができ、小さなうちからわだかまりを解消し、自分たちが納得する方向へ転換できると、心穏やかに幸せな人生が送れるのかな、と思う。

 父親とは、もう少し色んな話をしたかったな。

 おしまい

 

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