50歳を過ぎてくると、健康の有り難さが身に沁みてくる。日々、身体に不調なく、美味しいご飯が食べられるだけで幸せだなと思う。
健康であるということは、何も病気や怪我が無い状態だけでは無い。心も安定し穏やかであることが大事だと思う。
心が安定して穏やかであれば、それに従って身体も健康になっていく。病は気からという諺もあるが納得である。
心が安定して穏やかな状態というのはどんなことだろうか。
欲張り過ぎない
欲張り過ぎないことである。人間、欲がなければ生きることはできない。食欲や睡眠欲、性欲など、生きていく上で大切なものである。
だが欲を張り過ぎると具合が悪くなる。自分の器を超えた欲を持つと、許容することができず自分に対して悩みを深めることになる。
欲には色んな種類があるが、自分が持っている能力以上の事を望むことも欲である。
例えば出世欲である。同期のアイツが出来て自分のが出来ない訳がないと思い、能力以上の努力をしていくことも欲張りすぎである。
こういった自分の器以上の事を望むとき、それを成し遂げられないときは悩みを深め、それが身体に変調をきたす原因にもなり得る。
大切なことは、人と比較しないことである。あの人に出来て自分が出来ない訳がないと思うのは、それは思い上がりでしかない。
あの人と自分は同じではない。違う人間である。それを自分にも出来るという思い上がりをするのは、自分のことがよく見えていないからである。
自分自身をよくよく観察する事である。客観的に見る事である。他人の出来ていることだけを見るのではなく、自分が何が出来るのかを見極めることである。
執着し過ぎない
執着し過ぎないことである。こだわりにも通じるが、度が過ぎるとこれも悩みを深める原因となる。
執着やこだわりが強過ぎると、自分の了見を狭めてしまう事になる。
これがなければダメだとか、これがないと次へ進むことができないなど、執着がありすぎると他の選択肢を考える隙がなくなってくる。
執着には依存的な匂いもしてくる。これがないと心がざわついてくる。不安や心配になり、もっとひどくなると生きていけなくなるのではないかとさえ思えてくる。
度が過ぎる執着から解放される術は、どうしてもそれがなければ生きていけないのかを考えることである。
今の自分にとって何が必要なことなのかを考えることでもある。
1時間とか2時間といったまとまった時間を作り、考えてみることである。
相手を責めない
相手を責める、憎む、恨む事をやめることである。相手を責め憎み恨んでいる間は心の安寧は訪れない。
相手を責める・憎む・恨むという気持ちは、結局のところ他責思考の塊である。
本当に相手が悪いかもしれない。だけど、相手を責めたところで事態は好転しない。
一時は相手を責めることもあるかもしれない。そこで相手を責めたらそれで綺麗さっぱり忘れることである。
ずっと相手を責め続けていけば今度は自分が苦しくなる。責め続ければ続けるほど、自分の頭の中に相手への憎悪が増幅してきて、頭が痛くなってくる。
そうなっては自分にとって不幸である。もっと自分を労った方が良い。自分が不幸になることはしないこと。そのためには、綺麗さっぱり忘れることである。
欲張り過ぎること、執着し過ぎること、相手を責め続けることで、心の中に「もっともっと」という気持ちが働き、暴走して体がオーバーヒートして体に不調が出てくる。
自分自身にもっと関心を寄せ、自分を大切に労る気持ちが出てくると、他人に対して無用に関心を寄せることもなくなるのではないか。
心を穏やかに保つことが健康にとって大切なことだと思う。
コメント