おとなになるということ

心の内面について

 会社を休職してから1年が過ぎている。今は会社から新しい所属が決まるまで待ちの状態となっている。この間色々と考える時間があり、おとなになるということについて考えていた。

 色々と考えているうちに私はおとなになりきれていなかったのだとつくづく感じた。自戒をこめておとなになるということはこんなことなのかなというものを挙げてみた。

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人のせいにしないこと

 人のせいにしないことである。100%相手が悪かったとしても、その場に居合わせた自分があるので必ずしも相手が全て悪いということではない気がする。

 相手も悪かったが自分にもいくらか非はある。お互い様という感じかもしれない。物事は色んな事象が作用して起きているので、絶対ということは無いのだと思う。

 人のせいにしている時点で自分が正しいという気持ちが働くのだと思う。自分が正しくやってきたのに相手が間違えたから悪いのだという気持ちが働く。

 こういう考えも一理あると思う。それでも自分が正しいという絶対的な考えを持たない方が良い。そういう考えを持っている時点で物事の視野が狭くなる。相手を排除するような気持ちを持ってしまい、自分の心が醜くなる。

 危険が差し迫っているときは悠長なことを考えている暇はないけれども、そうでなければ人のせいにしないことではないかと思う。

言い訳をしないこと

 言い訳をしないことである。言い訳をしている時点で何か後ろめたい気持ちがあったり、他責思考が働いていることが多い。

 自分で決めた!という思いが薄くなっている時も言い訳をしたくなる時かもしれない。

 人が言い訳をしている場面に出くわす時がある。聞いていると見苦しいと感じる。自分が言い訳をしている時も恐らく周りの人は見苦しいと感じているのかもしれない。

 同情の余地はあると思う。それでも、自分で歩んできた道をいつまでも言い訳していては、学んでいないなと思ってしまってもしょうがない。

 後悔先に立たずということもある。過去の出来事は変えることはできない。これからどうしていくか。こういう気持ちの切り替えができるかが鍵になるのだと思う。

愚痴をこぼさないこと

  愚痴をこぼさないことである。言い訳と同じような感じであるが、言い訳は過去の自分がした事であるのに対し、愚痴は今起きている事に焦点が当てられていると捉えている。

 自分の境遇を愚痴ってみたり、会社の体制が悪い、世の中が悪いなど色々あると思う。

 こういう時も自分のことは棚に上げ、周りを批判している。批判というより貶しているといった方が良いのかもしれない。

 大きな物こそ直ぐに変わることはできない。これまで生きてきた中で経験して分かったことである。会社の体制やら世の中云々といったところで始まらない。それをいつまでも愚痴らない。

 自分に関係することに集中するということが大事になってくる。その時点での自分の立場や役割をしっかり認識し、やるべきことに集中すること。そういうことにしっかりと気付いて実践することである。

身の程を知ること

 自分の身の程を知ることである。身の程とは、体力・知力、物の捉え方や感じ方などである。これからをしっかり認識し、それに合わせて行動していくことが大事になってくる。

 ここで他人との比較は無用である。当たり前だが、人はそれぞれ違う。体力がもの凄くある人もいるし、頭の回転が異常に速い人もいる。個人差がある。

 努力ではどうしても乗り越えられない壁があるということを知ることでもある。良い意味で諦めることである。

 しかしながら、これは自分には出来ない所を知ることだけでなく、出来る所も知ることでもある。単なる怠慢で出来ないのか、そもそもそこまでの体力が無いだけなのかを冷静に見極める。その上で出来る所も認識する。

 こうすることで無用な努力は避けられ、自分にとって必要な努力が見えてくるのだと思う。

苦しいのは自分だけだとは思わないこと

 苦しいのは自分だけだとは思わないことである。自分だけが不幸だとは思わないことである。

 生きていれば大なり小なり悩みは付きものである。皆んなそれぞれ悩みを抱えて生きている。

 だが苦しい時は苦しいので、そんなことは思えない。苦しみは至極個人的であって、他の人には分かることはできないと思ってしまう。

 だけどこの個人的な悩みというのも、周りを見渡せば同じような苦しみを抱えている人がそれなりにいるものである。自分の視野が狭いだけで気付けないだけのことである。 

 自分だけではないと思えてくるようになると随分と気持ちは軽くなる。苦しみから抜け出すには様々な出来事が関係してくると思うが、自分だけではないと思えてくれば光が見出せる。 そうなればおとなへの一歩を踏み込めることができるのだと思う。

自分を大事にすること

 もっと自分のことを大事にすることである。身体を労ることもそうである。自分が心地よい方向へ進めるように行動することである。

 自分自身を大事にしていくことで心も安定して穏やかに過ごすことができる。節制することや運動すること、歯を磨き、お風呂に入り清潔にすること。これらは全て自分が心地よく生きていくためにすることであり、誰それから強制されてすることではない。

 もっと自分自身に興味・関心を持つことだと思う。自分がご機嫌よく生きていけるよう最善を尽くすこと。

怒らないこと

 怒らないこと。怒っている姿は見っともないと感じてしまう。子どものように感じる。

 何か要求が通らないからといって怒る。誰それが言ったことをやらないからと言って怒る。 

 自分の説明の仕方が悪いかもしれない。自分に非がある事を認めずに相手を責める姿は見っともないと感じる。

 仮に話の通じない人達と出会したら議論せずにその場から立ち去ること。分かってもらおうとはしないこと。

 そうは言っても、仕事上でどうしても対応しなくてはいけない時があるもの。そういう時はそれが仕事なので割り切るしかない。その相手と一生添い遂げる訳では無いので仕事だからと割り切る。

 怒ると自分の体を痛めることになるようである。気を付けていきたい。

 

物事は白か黒かだけでは無いことに気付くこと

 物事は白か黒で決められるほど単純では無いということに気付くこと。

 どんなものにもグラデーションがある。画一的に決めることはできない。どうしても境目があやふやな所がある。

 そういうファジーさを感じられるようになると気持ちが軽くなる。要はどちらでも良いんじゃないのと思えてくる。その人本人の好みの違いで変わってくる感じだろうか。

 世の中の情報には「◯◯すべき」とか「〇〇でなければならない」といったような謳い文句が蔓延っている。私もそういった謳い文句に踊らされてきた。

 こういう時は自分がどうしたいかで物事の見方が変わってくる。白か黒だけでは判断できない。グレーだってあるかもしれない。

 物事には色んな面を持っている。これだけの人間がいるのだから色んな見え方がある。もの凄く複雑に絡みあっている。

 それを単純化して分かった風にはできないと思う。そういうことに気付ければそれ程に世の中の情報に振り回されることは無いと思う。

 おとなになるということはそう単純では無いのかもしれない。

 幼い頃は自然におとなになるものだと思っていた。就職したての頃もまだそう思っていた。だが経験を重ねていくうちに、相応の努力をしなければおとなにはなれないのだと分かってきた。

 それはお仕着せのものではなく、自分自身で感じ取り考えていくことなのだと思う。

 これからも自分自身を労わりながら、楽しく人生を謳歌していきたいと思う。

 

 

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